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忘れないということ

沖縄がかつて生活の場を戦場とされてしまった歴史を、少しだが習ったことがある。

戦争が終わって64年経ちました・・・。慰霊特集をテレビが放映していた。
沖縄でもっとも悲惨だったと言われる渡嘉敷島の玉砕場で、当時十代後半だった兄弟は両親と二人の弟妹を手にかけた。その後、兄は島に残り弟は牧師になったという。兄はテレビの取材まで一切を語ることはなく生きてきた。弟は牧師となって、自らの手で肉親を殺してしまった「罪」を語り継いでいるという。


その83歳の兄さんが語った言葉が耳に残った。「国のため国のためと、いくら言っても、人間が死んで何が国のためかと、今さらその思いなんです。」
生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず-と教育され、空からは<鬼畜米英が片っ端から住民を虐殺しています>のビラが降ってくる。生き残ったらどうしよう、責任を持って家族を殺さねば・・とせっぱ詰まった16歳の心を思った。
渡嘉敷島では、お隣さんに自分の家族を殺されていながら軒を並べて生活している人もいる。当時の出来事を語る人はいないという。その複雑な、重たい人間関係をずっと引きずって生きてきたのか、と胸が塞がる思いがする。


ヤマトンチュに、ウチナンチュ(沖縄生まれの人)の気持ちを理解できるの?と思うことがある。
だが、ザ・ブームの宮沢和史くんは、島唄という反戦歌を作った。沖縄音楽から入って、ひめゆり学徒隊を知り沖縄の悲劇に無知だった自分に腹が立ったそうだ。理解するってことはこれなんだ、私はそう思う。理屈をあれこれと並べたてることじゃない。
そして私も、沖縄を忘れないヤマトンチュの一人でいたいと思う。


♪BEGIN 島んちゅぬ宝




by hanako_mama | 2009-06-23 17:35 | 私の好きなもの


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