夫婦の誕生日
きのうは私達の33回目の結婚記念日であった。次男の働くスペイン料理店に予約を入れた。じつを言うと私達が「結婚記念日を祝う。」のは初めてだったし記事にすることも気恥ずかしかった。ま、エエやないの。来年の記念日は保証されてないんやから・・・。(なぜか金沢語になるんです;笑)
1976年9月、小料理屋の二階に両親と兄弟だけが集まって簡単な食事会をして結婚式に代えた。楽器屋の同僚は四谷のサッシ・ペレレ(ブラジル・バー)で歌と踊りの祝う会を開いてくれた。その時代、オイルショック後の不況の煽りで主人の父が経営する会社は倒産し、家は無くなっていた。金襴緞子の帯を心配するまでもなく、市役所に入籍届けを出しておしまい、それが自然のなりゆき-そんな時代だった。
楽器屋の店長だった人から毎年年賀状が届き、私たちのことを気遣ってくれている。ということは、彼が言わば仲人のような形で結婚に至ったのかも知れない、縁結びの神とは良く言ったもんだとしみじみ思う。
私達がいわゆる転勤族となって博多から金沢経由で東京に戻って20年経った。
結婚記念日にあたって、博多での愉快なエピソードをひとつ紹介しましょう。
シェフ29歳ぐらいのある日のこと。
出社して部屋に入るなり同僚が足元を指差して 「どーしたんですか?」と聞いてきた。ズボンの裾先からパジャマのズボンが飛び出して見えていたという。よほど慌てて家を出たんでしょうね。その時、若きシェフがなんと答えたのかは当人も記憶にないらしいが、その珍なる癖?は、靴下の左右裏表を見事に逆さまに穿きこなしたり・・・と続いた。これ、特技としか思えません(笑)。
話しを戻します。
結婚記念日が9月26日、これを正確に頭に叩き込んだのは上海行きのパスポート作成のときだった。
「へえ 私らって9月26日に結婚したんやって・・・。」 そんなのん気な奥さんだったので、時折シェフが怒りを爆発させることもあり、私は私でせっせと避難したりして・・・その繰り返しの33年だったように思う。
何をするのも、どこに行くのも夫唱婦随(婦唱夫随)が一番、それが夫婦なんだよと、よく私の父は言う。
でも私は、夫婦の形には「これが秀である」という手本はないと思う。離ればなれに暮らそうが、たった一つの事で心を合わせることが出来たなら望外の喜びとなる。夫婦の色も、形も、味も、皆それぞれであって良いのだ、と。
『 ハテ。ちゃらんぽらんに一緒になって、ナニ悪かろう。神様かて、ちゃらんぽらんや。縁結びの神サンなんて、まじめにやっとられるかい。じゃま臭うなって適当にお見つくろいで結んどるわい。こっちも相応に調子合わせておけばよい。酒飲むときの話相手が欲しーっ、という、それだけでナニ悪かろう。』
田辺聖子さんが 《 楽老抄》 に書いたこの言葉が、だんだん身近なものに感じられるトシになったんだな、つくづくそう思う。
**
深夜、まだ店で働いているく息子にメールを打った。
「今日は初めての結婚記念日だった。一度もお祝いしたことがなかった。そこで祝えて良かった。シャンパンを有難うございましたと皆さんに伝えて下さいね。」
息子にも同席の友人にも内緒にしてシャンパンで乾杯したのが、いかにも私達だった。
by hanako_mama
| 2009-09-27 18:38
| 家族・健康