戦死せる教え子よ


中国語のカセットテープを整理していて、中身不明のテープを聞き直そうとフタを開けると先にテープが入っていた。何?コーラスかノコギリだな…と回し始めると、朝ドラの 「おひさま」 の夏子先生の声が録音されていた。一度聴き終えてからテープ起こしをしてみた。


『 日本は神の国だ、決して負けることはない、国のために喜んで命を差し出す人間になれと教え続けてきた。でも戦争に負けて世の中が変わった、教えることも変わった、だからと言って自分が、今までのことがなかったことのようにコロッと変わるなんて無責任なんじゃないか・・・・。 確かにそれって辛いよねとっても・・。でも私は辞めないわ、教師の仕事...絶対に。責任があるもの、私には。だから逃げない。責任を感じてるなら胸を張りなさい。あなたはいつだって子供たちのほうを見て、子供たちのことを考えていた。それは私が一番良くわかってる。
私達のように世界や社会のことを何も知らずに泣かされてしまう人間を作らないために頑張ればいい。それが私たちの仕事でしょ。』

夏子先生はそう言ってから 「 ほらっ立って! ほら立って!」 と立たせてから 「 なんで立たせたかというとね、シッカリするっ!」 といってお尻を叩いたのでした。
夏子先生は、よく陽子先生のお尻を叩いてましたね。


「おひさま」 では、終戦直後の教室の様子も毎日のように描かれました。
戦争のあいだ使っていた教科書に墨を塗るというシーン、戦争中に必死に教え、覚えさせた「教育勅語」、泣きながら特訓した手旗信号も竹槍で敵を突き刺す訓練も、教科書の一字一句を黒い墨で塗り消すことでチャラにできるの? 先生も子供たちも戸惑っていた。
「わたしが教えてきた事をなかったことにするなんて…。」 陽子先生が絶句し涙するシーンでした。そこで絶望に打ちひしがれている陽子先生にかけた夏子先生の言葉が、先の録音だったんですね。
 ↓ 続きます。






それで、生徒たちが一行ごとに黒い墨で文字を消していく姿を見ていて突然思い出したんです。
あ、あれ! 

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戦死せる教え児よ  (竹本源治)1952年1月

逝いて還らぬ教え児よ
私の手は血まみれだ
君を縊ったその綱の
端を私は持っていた
しかも人の子の師の名において
嗚呼!
「お互いにだまされていた」の言訳が
なんでできよう
慚愧、悔恨、懺悔を重ねても
それがなんの償いになろう
逝った君はもう還らない
今ぞ私は
汚濁の手をすすぎ
涙をはらって君の墓標に誓う
「繰り返さぬぞ絶対に!」



これは終戦直後、教え子を戦争で亡くした教師が書き残した詩です。


この新聞の切り抜きを必死で探しました。
5年前のA新聞に意見広告が載ったとき、この詩をよんで鳥肌が立つ思いがして思わず切り抜いていました。広告主は千葉県高等学校教職員組合。その年2月の県民集会に向けた呼びかけの広告だったんですね。終戦直後の教師も現代の教師も熱い思いをもって教育の現場に立っているんだなと感銘を受けたのでした。

今回、テープレコーダのフタを開けることで、この詩を紹介する機会が持てたことを光栄に思います038.gif


(竹本さんの簡単な紹介 / ネットより)

【竹本源治は1919(大正8)年 高知県吾川郡池川町(現.仁淀川町)桧谷で生まれる。
池川青年学校を卒業し教職につく。肺結核の病歴のため徴兵は延期されたが、1945(昭和20)年 6月応召。同年復職する。
1952年「るねさんす」に「戦死せる教え児よ」を発表。
この詩は1953年7月、ウィーンでひらかれた第一回世界教員会議で朗読され、これを聞いた人々は、国の違いを超えてみなハンカチで涙をぬぐったという。代表団が詩を朗読し、羽仁五郎がドイツ語に翻訳した。
池川中、弘岡中(現.春野中)などで、社会科・国語を教え、片岡小校長で退職。
1980(昭和55)年5月、61歳で逝去。】

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追記:
8月、市内で開かれた「教育のつどい」で中西新太郎さんのお話しを聴いてきました。(大学で面白い教授と言えば中西先生ぐらいだったと息子が言っていた…さてどんな方なのかなぁとミーハー心をくすぐられ出かけました。先生方の集まりでしたが一般市民も入場可能だったんです。

当日は、朝から市内の主要道路は検問の機動隊車でふさがれ右翼のニイちゃん達が180台の街宣車で押しかけて喧しいこと。集いの参加者は1700人だったそうですから、阻止する側800人ってことは今になってもよっぽど先生が怖いのかな…そんなこと考えました。

お話しは講義という感じで90分の密度の濃い中身でした。先生方は必死にメモをとったり録音されていましたが、フツーのおばちゃんにはちょっと難しかったかな。
「震災後の日本の教育は分岐点に立っています、とんでもない方向に舵取りされることのないように頑張ってほしい」とはっぱをかけてました(笑)。子供たちでも東北の被災者の方々でも、弱者ほど声にならない思いを抱えている、そこを汲みとらないと―と熱く語っておられました。

現代の若者はひきこもり、定職につけない派遣など「漂流」して生きている。彼等が「自ら航海する社会」をつくっていきましょうの言葉に共感しました。


001.gif 天袋から出てきた「抱腹絶倒」 を徐々に読み進めているところです。愉快すぎて、そう簡単にチョイスできないなってとこです(笑)
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by hanako_mama | 2011-10-01 02:52 | その他 | Trackback | Comments(6)
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Commented by keiko_52 at 2011-10-01 23:17
こんにちは、keikoです。
「教育のつどい」におまわりさん800人ってすごいですね~
そんなに人手使ってね~~税金なのにね(笑)

引っ越し準備で忙しそうですね、
これで人生の最後の老後の住居はバッチリですね
うらやましいなぁ~~
Commented by わかめ at 2011-10-02 20:47 x
おひさま、昨日で終わっちゃっいましたね。
花子ママさんの書かれたように、7~8月のは戦中、戦後の時代の私が知らなかった話しが毎日のように放送されました。

記事のなかのセリフも、強烈な印象に残りました。少しずつ思い出しました…。
戦争はやっぱり怖いなと思いました。
Commented by hanako_mama at 2011-10-03 09:54
>keiko_52さん、おはようございます。
あの日は怖かったですよ、会場の最寄り駅はまるで映画のロケをして
いるかと思ったほど。機動隊と右翼のおにいさんのトンネルをくぐって
命がけ(笑)で話しを聞きました。

引越しの準備もいよいよラストスパートに入ってきました。
このあと引っ越す機会は、絶対にないでしょうね、力を振りしぼって
頑張っているつもりでしたが、、、。
そちらで10月から12月までを4ヶ月と数え間違えていましたね。
指折りかぞえてみたのに、なんで4ヶ月??
トシには勝てませぬ.....モモカにも笑われちゃうかも...(恥) 
Commented by hanako_mama at 2011-10-03 10:01
>わかめさん、「おひさま」はとっても良い番組でしたね。
井上真央さんは陽子先生が成長していく過程を上手に演じていました。
戦争中の学校の様子とか、本以外で知ることができたのも良かったと
思いました。
ひなこちゃんの「おいでなさんし~」も可愛かったですね。
最後に黒柳徹子さんが登場したのには、ビックリでした(^^)

Commented by 谷塚の信江ばあさん at 2011-10-03 16:20 x
「おひさま」は職場の昼休みお弁当食べながらみんなで見てました。でも・・あの日からテレビがみられなくなって・・・家にはテレビないし・・・どうなったかなあと思っていたら・・・もう終わったのですね。共感することの多いドラマでした。戦争は嫌だし、わが子を戦争に送り出すことなんか絶対できない。そう思います。5年前の千葉高教組のビラ保管してあるなんてビラを作った人が知ったら感動するでしょう。
Commented by hanako_mama at 2011-10-04 18:36
>谷塚の信江さん、近くの銀行もあの日からテレビがなくなったんです。暫くたってから地デジのものが置いてありましたけど・・・。
テレビはみない主義なんですか? 面白いのも少ないですけどね。
このドラマの脚本が良かったんだと思います。時代の背景もきちんと描写されていました。

この詩は、ある朝、新聞を開いたら良く目立つ広告で掲載されてました。思わず白髪のあの先生を探していました(笑)。
この詩に初めて出会って、若い教師の正義感とか真摯な人柄を想い、
ビビッときて、切り抜きしておかなくちゃ!ハサミを探してました。
引越しの片付けをしているさなかだったので、古い保管物の所に見つかって良かったです。夜中に眠れない時に、テープを聞き返したりして、いつになく長い記事になっていました。
今日は良いお天気だったので、衣替えしましたー♪ 
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