諏訪さんの『生まれた年の歌』

ちょうど去年の今頃に、毎日新聞の月間冊子にへぇそうなんだ~!と驚かされる記事が載っていた。諏訪哲史さんのエッセイだった。生まれた年の歌、タイトルが面白くてどんどん読むうち引き込まれた。中にある歌はどれも私の十代後半のものだった。それらの歌にはあの当時、世間をあっといわせ眉をしかめる人たちが存在したのも事実だった。でも私はこれらの歌に魅かれ自分の生き方に重ね合わせた。その年に生まれた諏訪さんが「あの時代を生きてみたかった」という気持ちに驚いたのだが一方ではそんな諏訪さんに羨望すら感じたのでした。下に転載します。


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生まれた年の歌


 僕は1969年に生まれた。東大安田講堂が陥落し、永山則夫が連続射殺事件を起こし、アポロ11号は月へ至り、サド裁判に有罪判決が出た。五輪と万博に挿まれた華やかな高度成長期、個人は権力に反抗し、懇(ねんご)ろに圧殺された。そんな、暗く激しい擾乱と実存の時代だった。

 やりきれぬ世情を反映し、歌謡界には厭世的で気怠いムード音楽が流行った。佐良直美「いいじゃないの幸せならば」、弘田三枝子「人形の家」、カルメン・マキ「時には母のない子のように」、ピーター「夜と朝のあいだに」、アン真理子「悲しみは駆け足でやってくる」。

 あの時代の歌は人の度量が広く、また絶望の追及も徹底されていた。僕は自らがあの頃を生きた自覚こそないが、自分の生まれた年は火花散る文化隆盛の時代だったと誇りたいのである。… 悪い女だと人はいうけれど、いいじゃないの、今が良けりゃ… という詞など、現在の<一億総風紀委員化>された狭量なネット社会の耳に聞かせてやりたい。有名な …若いという字は苦しい字に似てるわ… なども重い詞だが、この時代の個々人はそれぞれに過酷なまでに生を突きつめ、その上で泣き笑いしているのだ。絶望のどん底で、明日という字は明るい日とかくのね、と衒(てら)いもなく歌い出せる者が、今の時代、何人いるだろうか。

 歌詞だけではない。旋律の美しさも格別だ。 …街の灯りが、とてもきれいね、ヨコハマ…。あの名曲「ブルーライト・ヨコハマ」もちょうどこの年に流行った。

 そしてこの時代のモノクロの雰囲気、都会と人間の孤独の闇、それらが見事に体現された僕の揺籃期の夢の歌が、由紀さおりの「夜明けのスキャット」だ。 …愛しあう、そのときに、この世は止まるの…。
こんな美しい歌に抱かれて、僕は生まれた。日本はまだ若かった。でも僕が成人した平成は何もかもが想定され管理され、安全な、しかし過保護な社会だった。僕は自分の生まれたあの年、あの博打のような時代に、青春を生きてみたかった。

『諏訪哲史のうたかたの日々』・・・2016.5月「毎日夫人」



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by hanako_mama | 2017-05-07 10:00 | 私の好きなもの | Trackback
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