「穿」 と 「着」
母は暫くは拘束衣を着せられてベッドで大人しくしているようです。
日曜日に訪ねた時は、チェックの割烹着?のような服に収まっていました。筒状の服のなかにスポっと包まれた感じですが、なかなかモダンなデザインで、拘束衣って感じがしません。
家に戻ってから、あっそうだ!と思い出したのが、↓ このエッセイです。
ちょうど一年前の1月の日中友好新聞に掲載されていた【日中漢字比べ】、その中に 「穿」 と 「着」 というのがあって切り抜きファイルに挟んであったんですね。
いつもと雰囲気が違いますが、覚え書きのつもりでアップしてみようと思います。
「セーターを着る」、「コートを着る」、「たくさん着なさい」は、中国語で 「穿毛衣」、「穿大衣」、「多穿点儿吧」という。日本語の「着」は、中国語で 「穿」である。「穿」はもともと「穴」と「牙」からなり、牙で穴があく様子を示していた。
中国語では 「把纸穿了个洞 (紙に穴をあけた)」のように使う。
穴をあけるのは、何かを通すためだ。そこで 「穿」には何かを通すという意味も派生した。
「穿针 (針に糸を通す)」、「穿过隧道了 (トンネルを通り抜けた)」などである。
服を着るとき、袖や襟に手や頭を通す。
だから服を着るのも「穿」で表すようになった。ズボンやスカート、靴下や靴に足を通すのも「穿」である。日本でも、袴やズボン、スカートは 「穿(は)」いている。
↑ はなが、ブーツを着ている写真(^^)
一方、「着」 は 「著」 の俗字である。 「著」 はもともと 「箸」 と同じだった。
「箸」 は 「竹」 と 「者 (一カ所に集める)、くっつける)からなる。
食事で使う箸も、棒を二本くっつけて挟む。
その後、「著」は著作、著書のように書きつけるという意味になり、くっつけるという意味は 「着」 になった。「接着」 「粘着」 「定着」 「着陸」 などである。
手にくっつければ 「着手」、 目にくっつければ 「着眼」、色をくっつければ 「着色」 である。
身体にくっつける衣類は 「着衣」 になる。
昔は中国でも、「着胡服 (野蛮人の服を着る)」 (司馬光:資治通鑑)のように用いていた。
衣服を身体にくっつけて着る日本。
衣服の穴に頭や手足を通して穿く中国。
衣服の形は同じでも、人の目の付け所によっていろいろだ。
正確にいえば、衣服を着るという一つの行為の中でも、袖や襟や裾に頭や手足を通している場面が 「穿」、それ以外の場面は 「着」 なのだが、そこまで細かく言い分けるのは、日本でも中国でも面倒だったのだろう。
それでも日本では 「着る」 と 「穿く (はく)」 を律儀に使い分けている。
中国はもっと大ざっぱだ。 (西日本華文教育者協会理事 佟 岩 さん著)
母の拘束衣姿を見て「穿いている」と感じたのもあながち無理からぬことかなと思いました。
十数年前にラジオ講座で中国語講座を始めた頃は 「穿衣服」 の言い方に堪らなく違和感ありましたが...(笑) お母ちゃんのお陰で、あらためてお勉強し直したのでした(^^)/
今週からはリハビリを始める予定です、と看護師さんが言ってました。
頑張ってくれるかな?
日曜日に訪ねた時は、チェックの割烹着?のような服に収まっていました。筒状の服のなかにスポっと包まれた感じですが、なかなかモダンなデザインで、拘束衣って感じがしません。
家に戻ってから、あっそうだ!と思い出したのが、↓ このエッセイです。
ちょうど一年前の1月の日中友好新聞に掲載されていた【日中漢字比べ】、その中に 「穿」 と 「着」 というのがあって切り抜きファイルに挟んであったんですね。
いつもと雰囲気が違いますが、覚え書きのつもりでアップしてみようと思います。
「セーターを着る」、「コートを着る」、「たくさん着なさい」は、中国語で 「穿毛衣」、「穿大衣」、「多穿点儿吧」という。日本語の「着」は、中国語で 「穿」である。「穿」はもともと「穴」と「牙」からなり、牙で穴があく様子を示していた。
中国語では 「把纸穿了个洞 (紙に穴をあけた)」のように使う。
穴をあけるのは、何かを通すためだ。そこで 「穿」には何かを通すという意味も派生した。
「穿针 (針に糸を通す)」、「穿过隧道了 (トンネルを通り抜けた)」などである。
服を着るとき、袖や襟に手や頭を通す。
だから服を着るのも「穿」で表すようになった。ズボンやスカート、靴下や靴に足を通すのも「穿」である。日本でも、袴やズボン、スカートは 「穿(は)」いている。
一方、「着」 は 「著」 の俗字である。 「著」 はもともと 「箸」 と同じだった。
「箸」 は 「竹」 と 「者 (一カ所に集める)、くっつける)からなる。
食事で使う箸も、棒を二本くっつけて挟む。
その後、「著」は著作、著書のように書きつけるという意味になり、くっつけるという意味は 「着」 になった。「接着」 「粘着」 「定着」 「着陸」 などである。
手にくっつければ 「着手」、 目にくっつければ 「着眼」、色をくっつければ 「着色」 である。
身体にくっつける衣類は 「着衣」 になる。
昔は中国でも、「着胡服 (野蛮人の服を着る)」 (司馬光:資治通鑑)のように用いていた。
衣服を身体にくっつけて着る日本。
衣服の穴に頭や手足を通して穿く中国。
衣服の形は同じでも、人の目の付け所によっていろいろだ。
正確にいえば、衣服を着るという一つの行為の中でも、袖や襟や裾に頭や手足を通している場面が 「穿」、それ以外の場面は 「着」 なのだが、そこまで細かく言い分けるのは、日本でも中国でも面倒だったのだろう。
それでも日本では 「着る」 と 「穿く (はく)」 を律儀に使い分けている。
中国はもっと大ざっぱだ。 (西日本華文教育者協会理事 佟 岩 さん著)
母の拘束衣姿を見て「穿いている」と感じたのもあながち無理からぬことかなと思いました。
十数年前にラジオ講座で中国語講座を始めた頃は 「穿衣服」 の言い方に堪らなく違和感ありましたが...(笑) お母ちゃんのお陰で、あらためてお勉強し直したのでした(^^)/
今週からはリハビリを始める予定です、と看護師さんが言ってました。
頑張ってくれるかな?
by hanako_mama
| 2016-01-19 15:50
| 中国語を楽しもう