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終わりのない戦争

e0108126_20543191.jpg映画「蟻の兵隊」を知ったのは、じつは昨年の夏のことだった。今年83歳になる父が「おまえの近くで《蟻の兵隊》という映画やっていないか?」と電話をよこした。「え?なにその映画・・・蟻の兵隊っていう題名なの?変わったタイトルだね・・」 そんな会話が始まりだったように思う。

昨年夏のおなじころ、ブログ友だちの蕾さんがその映画を見に行った日の出来事を書いていた。父が情報を知りたがっていることを初コメントで書き込みに行き返事ももらう中、ネットで上映館を見つけ出した。東京渋谷で上映されるという。だが、住まいから遠いことと母を置いていくことの心配から、とうとう行けずじまいだったのだ。

昨年夏、テレビ報道されたものがyou tubeにあったので、こちらをご覧下さい。

●「蟻の兵隊」ニュース報道



この映画に出てくる奥村和一さんと父は同い年だ。
父がなぜこの映画にこだわっていたか。父もあの当時 「お国のため、天皇陛下のために命を捧げることは尊いこと」という徹底した教育をうけて育った。その軍国少年は飛行機乗りとして戦地に赴いた。戦争が終わる直前に、輸送担当の兵士も特攻隊の一員となって名誉の戦死を遂げなければならない運命にあった。だが、父の飛ぶはずの飛行機は一機も残っていなかった、つまり死にぞこないの軍国少年で終わったのだ。


もう一人の生き残りの兵士、奥村さんの場合。
彼は、中国山西省というところで終戦を迎えた。そしてなんと、終戦から4年もの年月を日本帝国軍人として、ふたたび日本国をこの中国の地で復興させるという「あまりに馬鹿げた」勅命をうけて居残ったのだ。このような兵士はおよそ2,600人もいたという。そして当時、共産軍(八路軍)と戦って550人もの兵士が命を落としている。初年兵は刺突訓練(人を刺し殺す)のために多くの中国人を人殺しの練習に使った・・・・。もう戦争は終わったというのに。
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ビックリしたのは帰還後の国の対応である。お国のためにと蟻のように働いて帰還した彼らを「中共がえりのアカ」と呼び、彼らは自分の意思で残って勝手に戦争を続けたんだとして軍人恩給も出さないという。勝手に残って戦ったことにしないと、ポツダム宣言に違反するのだ。


この映画の入りの部分に、若い女の子達が靖国神社に初詣にきたシーンがある。
奥村さんは話しかける。「昔の戦争の話を聞いたことあるかい?」
「うーん、学校でちょっとは習ったかな??」 
「おじさんはね、戦争が終わってもまだ中国で戦争を続けていたんだよ・・」 
「え~どうして~(このヒト、へん? みたいな表情だ^^;)」 
奥村さんの話しを最後まで聞いていた彼女達「そんなぁ ひどいよねー!」。 
彼の話に嘘はない。だからこそ彼女らはそう感じたのだ。
ひどい話しだから、生き残った元・残留兵士たちは軍人恩給を求めて最高裁まで上告したのだ。右だの左だのと言ってる場合ではない。とても筋道が通ってわかりやすい話である。



父は、自分が「死にそこねた人生」と、終戦後もなお中国の地に残留した奥村さんの無念さとを重ね合わせて、そこに見えるものを確認したかったのかもしれない。それは、戦争を知らない私や私の息子達が本で読んだり何かを見聞きして得たこれっぽちの知識を圧倒する<何か>なのだ。今回の映画は住まいに近いので上映の話しをまっ先に知らせたが、投票日の前に映画を見に行くわけにはいかないんだよ、と言う。彼には戦後ずっと応援してきた政党がある。
歴史を後戻りさせるような流れをどうしても止めたいんだよ・・」。そんな83歳の人なのである。


奥村さんは、映画撮影で中国山西省を訪れたさい、日本軍に酷い強姦を連日受けた女性に会う。その人がこう諭してくれたと言う。
悪いのはあなたではない、全ては戦争がさせた行為なのよ。ご家族にも話したほうがいい。」
トークショーの最後に彼は声をふりしぼって言った。
このままでは死んでも死に切れないんです! 若い人たちに自分達の事を知らせるのが私の義務なんです。」 こちらも83歳の人である。


八十三歳の老人ふたりの思いをブログで伝えずにいて、どうしてブログを書く意味があるの?と久しぶりに熱くなったのでした(^^)。


父の代わりに映画を鑑賞し、超満員の中、トークショーを録画してきました。いくつかの場面にカットして撮りましたが、どれもこれも載せたいものばかり(^^)。で、独断と偏見でこれをドガログに投稿しました。当時の山西省の様子、残留日本軍と国民党系の軍閥との関係など・・・聞き取れるかな、監督の池谷さんが説明しています。




映画情報はこちらをどうぞ

by hanako_mama | 2007-07-28 05:30 | 観戦 大好き | Trackback | Comments(37)

仕事場にて

今日はほんとうに蒸し暑い一日だった。
梅雨明け前ってこんな感じだっけ? 夕方になって外に出ると、まるでサウナ風呂のように蒸されている感じがする。つい今しがた事務所からお向かいのクリーニング屋のおばちゃんと「蒸しますねぇ・・・まったくねぇ」の挨拶をしたところだ。

暑いから頭が働かないってのもあるんだけれど、どうも今日は頭が 《どよ~ん》でイケマセン。
なぜか? 明らかな理由はわかっているんです。
昨夜、市内の親子劇場主催の映画会に出かけた。会場が超満員で立ち見だった。60分は棒立ちで観て、残りの30分は床に靴を脱いで座ってみた。トークショーを録画して後日ブログに載せようと張り切ってカメラ持参した。なんとか体勢を変えながら動画撮影を終えてビールを買って帰宅する。
・・・・今考えてみると、そのビール購入という手順を省かなかったのがいけなかった
帰宅後はサッカーのアジアカップ準決勝戦が待ち受けている。シェフは外で一杯ひっかけて帰宅したらしくテレビの前で観戦準備完了の姿勢ですわっている。
その雰囲気に向かってね あ、私は早朝の中国語勉強があるからお先に失礼! なんて言えようか、言えない。そうやってビールと「サウジ戦」という誘惑に負けて、夜中まで飲酒観戦をしたのがタタッタんだなぁ・・。
午前の中国語学習はパスだった。ブロ友のところに伝言を書きに行ったりチャット友達とちょっとお喋りして、ぼやけた脳を復活させようとあれこれ試みる。昼ころ、録画をドガログ投稿成功!のあたりでやっと頭がお目覚めしてくれた。

そうやって復活した頭で出勤するのが、この仕事場。
今の時期は月末に向かい買掛金の照合がおもな仕事である。仕入先から届く請求書と納品書を付き合わせていく。ところが、エアコンがほどよく効いて今度は眠たくなってきた。
あ、だめだめ~寝ちゃだめよ~というので携帯撮影したのがこの写真である。

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ブログに載せるってどーよ?と思ったけれど、なぜか急に我が仕事場がいとおしく感じてしまってね。欲を言えばきりがないけれど、パソコンがネット接続していたらなぁ。最高の仕事場なんだけどなぁ *(^^)* 
by hanako_mama | 2007-07-26 16:33 | その他 | Trackback | Comments(10)

二人のゆくえ

この二人は、とっても仲のよい兄弟だ。
写真には92年と載っているので、いまから15年前のものらしい。これならブログに載せてもいいよと言うので昔のアルバムの「写真」を撮った。
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私には息子が三人いる。
長男は下の二人の子ども達と喧嘩するのを見たことがない。けれど下の二人は、寄るとさわると喧嘩が絶えない時期があった。それぞれが二歳ずつ離れた組み合わせなので、7・5・3歳のように進む。ちょうど中と下が思春期に差しかかる頃は大変だった。大声で騒ぐということはなかったのだが、毎日必ず一回は「物言わぬ静かな戦闘」が繰り広げられた。

突然、ふすまが破れる音がしたかと思うと、壁がドシンドシンと揺れ、階下の私は「あ、また戦闘開始だ。」とか「おー、今日は一段と激しい格闘だね。」などと言いつつ家事をしたり本を読んだりしていたものだ。仲裁に入ることもない、自然に治安回復を待つのが最良の策なのだから。

彼らには今でも思い出すと笑いが止まらなくなる話しが一つある。金沢在住のころの話し。
5歳の次男が耳鼻科に通っている。3歳の弟は必ずついて来る。
女医さんが鼻洗浄を始める。
「はい、先生がお薬をお鼻にシューするからね、キミはガッコウというんやぞ~。はい、ガッコー♪」 次男はたぶん鼻洗浄が嫌いだったのだと思う。先生がどんなに優しくお願いしても「がっこー」が言えずにいるわけです。言った瞬間、お鼻にシューがくるのがイヤなんでしょうね。

ある日、治療室に一緒に入ってきた弟が何故か代わりに「発声」したのだった。
先生が「はい、ガッコー!言ってごらん?」 すると弟が「がっこー」。その声が待合室まで響き渡って病院中大笑いになる。先生が「そうそう、こんなふうに言うんや~」と褒めるので「がっこー」が止まらない。私は申し訳ないやら可笑しいやらで、どんな顔をすればよいのか困ったものだ。何度かその兄思い?の気持ちを感じ取ってか、母親の困惑振りを察知してだか患者本人の口から「がっこー」が言えるようになって耳鼻科通いを終えた。

この話しを知人にすると、笑い上戸の私は笑いが止まらなくなる。



大学を中退して町田に住む次男が、もともと志望のコックへの道を探り始めた。私の実弟(コック)に相談にのってもらうために我が家に立ち寄った。その帰る日をすっかり忘れていた私は旧友との飲み会を設定。それじゃ仕方ないということで飲み仲間も交え居酒屋で久しぶりの再会をした。そうして三人で上機嫌で帰宅したところに、三男から電話が。
東京ドームでプロ野球オールスター戦を観戦。横浜に戻るよりこっちのほうが早いし楽なんだと言うではないか。

あらら、大変。お布団はどうしよう、あれはこれはと酔いも醒める。上機嫌のシェフは「飲みなおしだ、自転車でツマミとビールを買って来い!」と次男に命じる。
夜中11時から二次会がスタートした。三男の大学生活の話しやあれやこれやと話が弾み、午前様で我々中年は就寝した。その後も、仲の良い二人が飲みながら語り合う声が二階の私の耳元に届いた。ビールの空き缶は我が家の一週間分もあった。
よく飲み、よく喋った二人は今日また住処へと帰っていった。


PS: そうそう肝心のことを書かなくちゃ・・・うちの次男坊、一日おきに多摩川の土手を走っていると言う。「途中、筋トレを入れて一時間ぐらいかなぁ。」と。
すかさずシェフが「おい、上海でハーフ走らないか?」 「おっ いいね!」
11月25日の上海を父子が走る。
シェフの嬉しそうな顔、想像できるでしょう?(^^)

by hanako_mama | 2007-07-22 15:36 | 家族・健康 | Trackback | Comments(16)

日陰の紫陽花たち

ちょうどひと月前の今頃は、梅雨時だというのに連日真夏を思わせるような太陽が照りつけていた。そして、私には、この頃紹介しなきゃと密かに楽しみにしていたものがあった。

千葉県松戸市には、通称「あじさい寺」という有名なお寺がある。
私は金沢からこちらに戻ってからの19年間のあいだ、このお寺に行くことがなかった。何度か誘われてはいたのだが、仕事だったり気が乗らなかったりしてついつい機を逸していたのだ。出不精な私でもブログで紹介してみようか・・という気持ちになったのだ。行かねばなるまい、と少々気負って梅雨どきの「雨降り日」を待った。

地元の人は「本土寺(ほんどじ)」と呼び、正式には長谷山・本土寺(ちょうこくざん・ほんどじ)と言うそうだ。ここは池上の長栄山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺と共に、朗門の三長三本と呼ばれる-とパンフに記されている。
五千本の花菖蒲、一万株の紫陽花、千本のモミジ、春の桜。まさに「四季の寺」である。

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参道入口の横にひょうたんが・・・。商売っ気もなく「魔除けにどうぞ・・」と寂しげに吊るしてあったのが面白い。
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気持ちの良い参道である。みんな連れがいてお喋りしながら歩いている。先日、友人に一人で行って来たと話すと、よく一人で行く気になるね~と言われたっけ。急にその日に思い立つんだもん仕方ないでしょうが・・誘われるほうも困るってもんです^^。

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仁王門とご対面。実際にはもっと朱色だったが、霧雨の中に少し霞んで写っている。

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五重塔まえでは、記念写真を撮る人たちが順番待ちをしている。やはり、最近のピーカン天気では紫陽花を愛でる気持ちも萎えるというものでしょう。だから私も雨降りのこの日に行ったわけです(^^)。ひと月前、雨が降らない何日かが続き、家の周りの花たちも青息吐息の状態だった。あまり綺麗な写真を撮ることはできないな・・・。案の定、お寺の紫陽花も日陰にならない場所のものはほとんど枯れかけてドライフラワー寸前の悲惨な姿だった。
あじさい目当ての観光客は口々に「あらぁ残念ね、今年はダメなのね・・」と口惜しがっていた。
五月の末から六月あたまは、花菖蒲と紫陽花が咲き競うのよ、と我が庭のごとく語っているおばあちゃんがいて微笑ましい。

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だいたい、こういう所に来ると「物知りおじさん・おばさん」連中が必ずいて、ガイドさんのように周りの人たちに説明をしてくれるものだ。私も観光客の一人になって彼らの案内を聞きながら写真をパシャパシャ撮りあるいた。

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この写真のモミジは京都の苔寺を思い起こさせる。
あじさい寺は、秋の紅葉も見物(みもの)だと言われる。確かにあの日、枯れた紫陽花を見下ろすように鮮やかな緑色の枝を伸ばしたモミジたちは、秋の出番を待ち焦がれているように思えた。紅(くれない)色のこの寺のその季節を思い、私の気持ちは早くも秋の色に染まっていた。


ほとんどの紫陽花が枯れかけている中で、本堂の後ろ側の日陰のところや、お墓への通路にはひっそりとだが綺麗な色をつけた花たちが咲いて私を呼んでいた。
そうそう、目立たないところに咲いている貴方たちを撮りましょう!
列から離れて、「順路」の札から奥まったところだけを目指して歩いてみた。
ご存知の方なら名づけられた正式名称がおわかりなのだろう。私には初めてお目にかかる珍しい花々である。梅雨がそろそろ明けそう・・。紹介するのを迷っていたが、やはりこの日陰でひっそり咲いた花たちを私の思い出の中だけに残すのはやめようと思ったのでした(^^)。

日陰に咲いた紫陽花たち

by hanako_mama | 2007-07-17 12:00 | 私の好きなもの | Trackback | Comments(16)

ふと思ったこと

大型で強い台風が沖縄に近づいている。そのニュースを聞きながら私は「自分はなぜブログを書いているんだろう?」などと考えていた。

今朝、wataさんのところを覗きに行ったら、そろそろブログ開設二周年とあった。
しっぽさんの所は、まだ昨日の記事のまま。なにかバタバタしているのかな?などと想像してみる。ジローさんは北海道に行く準備をしていると書いていた。村長さんのところは、二胡の窓木さんの学校に行ったときの模様を「二胡演奏& 中国人偽装工作作戦顛末記」として書いてあった。上海のJiaojiao(ジァオジァオ)さんの所には、何やら物騒な書き込みがあったのを彼女なりに勇敢な対応をしている。これは彼女が日本と上海間を行ったり来たりしているうちに書き込まれたコメントで、私たち「ブロ友」がハラハラしながら回答欄を見つめていたものだ。
そして、私にブログ開設を勧めてくれた≪つぼみさん≫は体調を崩していて、息子さんが健気にも「母はただいま休養中」との通知を書いていた。

当たり前すぎて笑われそうだが、書き手がパソコンに向き合う条件が整わない限り、ブログは止まるのだと改めて実感した。

「ブログは日記なのに、なぜ顔も見えない他人に公開するのか分からない」という言葉を聞くことがある。たしかに自分の日記を他人には見せたくない。だがブログは単なる日記なのだろうか?上に書いたブログ友達(もちろん例に挙げない数多くも含めて)のブログを六ヶ月にわたって拝見し、出した答えはノーである。

「思い」というものは自分の心の中にあるうちは「思い」のままなのだ。その思いを筆で書にあらわす、絵に描く、ギターでピアノで弾き表す。そのとき思いは「かたち」になって自分以外の他人にさらけ出される。つまり私(わたくし)の発信の瞬間だ。ブログを書き公開するというのも同じ発想なのだと私は思う。ブロガーは自分の思いを発信する人なのだ。

書き始めて一ヶ月くらい経ったある日。妹が言った。
「自分にきたコメントを読むでしょ。お返事書くでしょ。そちらにお邪魔してコメント書くでしょ。そのお返事読みに行くでしょ。そんなマメなこと あたしにゃ出来ないわ!」

そうよね、私も最初はけっこうしんどかった。律儀な性格がじゃまをして(^^)息が切れそうになったこともあった。でも「ご無沙汰しております。」という挨拶言葉を誰かのブログのコメントで初めて見つけたとき、あ・そうか、それで良いのよ、マイペースで行こう!と思ったものだ。

まだ六ヶ月、でももう六ヶ月たった13日の金曜日の独り言でした。


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↑上の写真は、昨日、職場の友人が日本武道館に韓国スター「イ・ビョンホン」に会いに行った時のもの。さすがに現場を見ていない私には記事は書けないけれど、武道館に昼夜あわせて全国から18,000人もの女性が集結したという。その熱烈歓迎ぶりに脱帽してしまった。大ファンの彼女が私の携帯に熱烈ラブコメントを添えて送信してきた。目に飛び込んだ[excite]の文字。 即、この写真を採用しました。
ケイコさん、なかなか良いでしょ?(^^)

by hanako_mama | 2007-07-13 22:00 | 私の好きなもの | Trackback | Comments(20)

新宿カラオケ




いやぁ にぎやかでした!この子ども達の絶唱を聞けば「なるほど!」と言わない人はいない。中国人のママである。日本人のパパである。そんなこと、子ども達には関係ないね。
この子ども達に未来をたくそう!素直にそう思えた「新宿カラオケ」。

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11時にスタートした日本中国カラオケ交流会は、夜の8時まで五十人部屋を借り切って行われた。後から参加した人の名札を探す人あり。えーと僕の名前は・・・と名簿を覗き込むひとあり。フロントに料理の注文する人あり。そうそう、今回カヌー仲間の山田さんの奥様「マキちゃん」が心強い助っ人で参加してくれた。子どもさんの相手やら、お料理配りに注文にと大活躍でした。マキちゃん、どうもありがとう!
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中国語で「時の流れに身をまかせ」を教えてくれた Sweet Heart さん。非常感謝!!
你的声音很好听,你的指导不错呀!

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私のお隣に座ったかたは、中国人の女性。テレサテンの「時の流れに・・・」を今日のこの時まで歌ったことがないとおっしゃる。カラオケも初めてです、とのこと。ビックリしました。
今日は中国語を学習される方の参加も多くて、いろんな立場で教わる側も真剣そのもの。

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シェフのカヌー友だち、山田さんも自慢ののどを披露した。自己紹介で「カヌー」って中国語でナニ?汉语怎么说呢?是谁知道?查辞典吧!皮划艇?是嘛! 中国語でカヌーってどう言うのよ!え?なんだろ、辞書で調べよう、わかった~ピィフアティンですぅ!
このとき、中国人も日本人も「カヌー」が皮划艇(pihuating)と知った瞬間だ。

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ママとLove
Love(^^)

















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ほら、恥ずかしがらずに自己紹介してごらんよ!
お父さんが励ましています。









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日本人は中国語で中国語の歌をうたい、中国人は日本語で日本の歌をうたう。
二人で声を合わせて、とにかく歌う。歌ってうたって新宿カラオケの終演は晩の8時前。
昼の11時から晩の8時まで、歌いつづけた皆さん、おつかれさまでした!


中国語の「ち」の字も知らないシェフも「カヌーは、ピーフアティン」を憶えました。
そして、三日にわたる発声特訓をうけた私は、蚊のなく声よりは大きな声で歌えました。
久しぶりに中国語をしゃべって、興奮気味の新宿カラオケとあいなりました(^^)。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追加<7.10>

頂いたコメントで、上の写真一番下のデュエットの右側の男性はシェフなの?という質問をいただきました。(Jingshangさん~中国語で)
私は、シェフが撮影担当だったのでここに載るはずがないぞと思いました。
「え?シェフの写真がどこか誰かのブログに載っているのかいな?」とビックリ・・・・。
パソコンの速度が遅くて見回りきれず、「おそらく誰ぞのところに載ったのかも・・・」と判断して、そうそう、まさしく彼が私の夫ですなどとお返事を書いてしまいました。
朝になってコメントを読み直したら、上の写真のことじゃないの!穴があったら入りたい(恥。。)
この方はシェフではありません。。。Jingshangさん、ごめんなさい。
私、中国語の勉強が足りないんだな・しかもソソッカシイ・・・トホホ。

by hanako_mama | 2007-07-08 22:09 | 中国語を楽しもう | Trackback | Comments(41)

コンサートの日

昨夜のコンサートは、大成功のうちに終えることが出来ました。と皆さんに報告させていただきますね(^^)。その昔、小学生の息子達を連れて聴きにきたシェフは、今回、カメラマンとして15年ぶりの参加となりました。シェフがカヌーに行き、私は200枚に及ぶ写真からの選び出し、動画を載せるために奮闘してみました。動画は残念ながら容量オーバーでアップ不可能でした、期待されてた方、ごめんなさいね。
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この写真は舞台の袖からステージを見つめているものです。去年のこのとき、私はまだブログを知らなかったんだなと改めて思いました。でも、いつもこの距離からステージを見つめることから私の演奏が始まっていたんだな、と別の自分をとらえることも出来ました。
舞台監督がいて、のぶよさん(コーラス指導者)がいて、会館や裏方スタッフがいて慌しく動き回るリハーサル前。この時が私の一番好きな「時間」かもしれません。

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保母さんたち、裏方のスタッフの方々は午前のうちから楽屋入りして準備に忙しくしている。私も会場のピアノに慣れるために、昼飯時に楽屋入り・・でなくステージのピアノに直行する。あ、ここのピアノのタッチ・・・・。だんだん指が慣れてくる。グランドピアノの重く深いタッチに慣れるには時間が必要なのだ。
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前日、「わたしのお気に入り(My Favorite Things)」のテンポアップを提案してきたのぶよさんとピアノの前でやり取りをする。何度かコーラスとの合わせで最後のテンポが決まる。本番の3時間前というときに、いつも使用している譜面(カレンダーの裏に切り貼りした)では、音符の粒が小さすぎることに気づく。階下の事務所に拡大コピーを頼み、切った貼ったをここで再度することになる。
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本番前というのは緊張感がある、なんてキレイごとでは済まないわけです。ピアノの位置合わせ、譜面に当たる照明が暗いことへの対策など会館スタッフとのやり取りもあったりで、これで6時半のオープニングに照準を合わせられるの?という感じである。

今回で34回目を迎えたコンサートは、受付に準備した270組のプログラムが、開場してまもなく品切れ状態になるほどの大盛況。開場と同時に降りだした雨に 「あ~ 客足が鈍るねぇ」と保母がつぶやいたその矢先に、そんな嬉しい知らせが届くのだからテンションが上がらないはずはない。どうやら幸先(さいさき)がいいね、演奏もきっと成功する!と確信する。e0108126_1527449.jpg
案の定、オープニングからの出だしは上々。応援に駆けつけた地元の合唱団や保母のコーラスグループが元気な歌声でエールを贈ってくれる。ゲストに招いた保父さん(男性保育士)二人組みは会場の子ども達をあっという間にとりこにしてしまう。わがコーラス隊のタスキ掛けのダンスでは、老いも若きも(誰とは特定しませんヨ・・・)笑顔がはちきれんばかりの舞いを披露した。
子ども達を舞台に上げての愉快で可愛らしいひとときは、彼らの記憶にも残ることだろう。

「布のファンタジー」。こんどは本格的に動画で撮ってねと注文したものが大きすぎて載せられず、とても残念!これは、彼女たちが演奏曲の5曲と並んで力を入れていた出し物だったのです。

肝心の演奏曲はどうだったのだろう。演奏する側の最も知りたいことであるが、寄せてくださったアンケート回答は「大変良かった」という反応がほとんどを占めていた。
「千の風になって」という歌はいまや大ヒット曲となっていて、誰もがどこでも聞けて歌えることが、演奏する側のプレッシャーになっていた。リハーサル時、気持ちが今ひとつ乗らないなぁという仕上がりだったのだ。しかし本番のその時、ピアノを弾く私に反響板を通して入ってくる声の響きは、この夜の熱気に包まれて人の心に染み渡る鎮魂歌のように思えた。「千の風は意外だったね!」のぶよさんの一言が演奏の成功を見事に言い表しているのではないだろうか。

シェフが息子達を連れてきていた当時は、赤ちゃんが泣く、幼児が走り回る中での演奏会だった。そういえばあの頃、「子どもたち、静かに聞こうね!」というアナウンスを何度聞いたことか。最近のコンサートでその言葉を聞くことはない。それはそうだ。この保母さん達に育ててもらった「赤ちゃん」が中学・高校生となって会場に駆けつけているのだから(^^)

私は毎年、コンサート会場にお守りを携えてピアノの横に置くことにしている。今年は中国人の友人からもらったものを置いて成功を託した。上の写真のストラップです。
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また、15年目にして初めてグループ以外の方から花束をいただいた。
二胡の窓木さんこと、伊藤さん。どうも有難うございました。最後の全員合唱でお花を抱えながら泣いていたfumisanを見ましたか?




by hanako_mama | 2007-07-01 12:25 | 「音楽」を楽しもう | Trackback | Comments(32)

大きい声では言えないが, 小さな声では聞こえない


by ふうちゃん
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