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ある日

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by hanako_mama | 2008-03-26 15:01 | 私の好きなもの | Trackback | Comments(0)

調布の桜

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あわただしい日々のなかに、まったりとした一時をいただいた。
友人から誘われて、桜花コンサートにバイオリンの方と合奏で参加することになった。
調布の桐朋音大のちかくの<森のテラス>と呼ばれている大きなお屋敷(^^)で、二人だけのリハーサルをしてきた。
私たちが演奏するのはタイースの瞑想曲というバイオリンとピアノの合奏である。


私たちの練習したそのお屋敷は、世田谷から立川までの雑木林の自然をそのままに残した景観の中にあった。やや高台にあるそのテラスからは遠くの町並みを望むこともできる。


春の息吹を感じさせる木々の芽の緑色。
古い桜の木は、すでに花を開かせていた。
すぐそばの高い木には、鳥の巣箱がついていて。

そんな風景に囲まれて、私たちの音合わせは続いた。
音合わせの合い間に、子供のころに木登りをした話し。
空を見ながら昼寝をした思い出・・・・。
藤棚の下でプール遊びをしたのよ・・・。


ゆったりと心を鎮めてくれるタイースの名曲。
バイオリンとピアノの音を合わせながら私たちは「なんて贅沢な空間!」と何度もつぶやいた。

どんなに忙しく、しんどい日々が続いても良い。
たった2時間ではあったが、私に完璧な癒しを与えてくれたのだから。
これから向かう病院の父に、少しは優しい笑顔を見せることができるかも知れない。
そんなふうに思えた午後のひとときであった。


逆光だったのでよく見えないけれど、↓古い桜の木にはたくさんの新しい桜の枝木が付いていた
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by hanako_mama | 2008-03-25 23:28 | 「音楽」を楽しもう | Trackback | Comments(21)

父の入院

父が入院して20日ほどになる。
今年に入ってどうも息切れが気になってな・・・というので二月に病院で診察を受けた。父は70歳になる直前に心臓のバイパス手術をしている。その後、心臓へつながる血管が詰まるたびにカテーテルだのステント挿入だのを施してきた。
去年の正月に埋め込んだステントが詰まっている。息切れの原因はそれではないか、ということで三月入院で再度カテーテルということになっていた。

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↑ 病院に車以外で行くときに乗る流山電鉄(松戸:馬橋~流山)


四日ほどで退院のはずだから、その送り迎えを私たちで交代にしましょう、その間の母の世話は出来る人がやって行けば良いね。そんな簡単な気持ちでいた。
ところが父は肺炎を起こしていたのだった。息切れの原因はどうもその辺にあるらしい、ということがレントゲンを撮って初めてわかった。入院して一週間後、肺の写真を前に医師から説明を受けた。
胸部レントゲンでは左肺の陰が広がりつつあること。胸部CTでは両側胸水が認められること。肺に病変が集まっていて抗生剤で効果が見られない炎症反応の持続-つまり一般的な肺炎ではなく、その他の病気の合併症としての肺症状も考えられる。という説明だった。

胸に溜まった水はある程度になったら背中から抜くこと。
間質性肺炎も考えられるので、ステロイド剤の投与も考えられること。
いずれにしても入院後の経過から、心臓の検査より肺の病気についての評価と治療が優先されると考えます-という主治医の説明に「はい、分かりました。よろしくお願いします。」と答えるしかない私たちであった。抗生剤の点滴は四日ほど続けていたのに効果がない、というのは細菌性の肺炎ではないらしい事までは分かった。間質性肺炎というのは最近難病指定された稀な病気である。それと断定はできないが・・・という口調であったが、身内としては不安が募る。

自分を取り巻く環境が急変した。
茨城には母が一人暮らしである。先日も記事に書いたが、もうじき84歳になる彼女は口は達者で気丈なのだが年相応にボケがきているのでそちらも(そちらの方が)心配だ。
父の入院が長引いて、この間、住民税の申告やら家計に関わることを依頼されてやってきて唖然とした。母は、家の中のどこに何があるという基本的なところを把握しきれていなかったのだ。
というより、「主婦」は父であったということなのだ!と気づいたとき、私達は「あ、これは私らが何とか踏んばって支えるしかないぞ。」と覚悟をしなければならなかった。(この主夫になった父と母については機会を見つけて書きたい。)



取りあえず、ここまで。
先日、介護申請に行った話しその他を次に書くことにします。皆さんのところにお邪魔できないのが心苦しいです。時々、気晴らしをしたいなぁと覗きに行くんです。コメントを書けるときに一言でも残せたらいいんだけどなぁと。
桜の開花は例年より早まって今月中に咲き終えるかも、とニュースが言っていました。父にお花見に行こうね!と声をかけました。

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流山=新選組。駅前で思い出した。
by hanako_mama | 2008-03-20 08:13 | 家族・健康 | Trackback | Comments(12)

夜行寝台 北陸

昨日朝、テレビを見ていたとき、寝台特急「銀河」(東京-大阪)が59年間の運行に別れを告げたと放送していた。この写真は先月、金沢の友人を訪ねたおりに乗った夜行寝台「北陸」。
私も乗りました! 上野発の夜行列車。写真だけでも記念に残そうっと。

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寝台列車に乗ったのは大昔のバンド時代、熊本に出かけたときが初めてだった。あの頃は上下二段、隣にも同じような上下のベッドがあって、私の下のベッドには見知らぬオジサンが寝ていたっけ。あの時、季節は夏だった・・・・そんな記憶。。

今回、金沢を訪れたのはガス抜きである。たかがガス抜きで飛行機の往復はちょっとなぁ、とあれこれ考えた末、夜行バスの往復をまず選んでみた。だが、二月中旬あたりというのは関越道も北陸道も雪で難儀かもしれぬ、と金沢の友人が言ってきた。あなた、夜行寝台というのがあるわよ 夜中に乗って朝に金沢に着くのはどうや? というので帰りを新幹線というプランを緑の窓口で組んでもらった。

上野発の夜行列車・・・この響きって、なんだか哀愁ただようなぁ・・・・ひとり悦に入って上野駅のホームでは携帯で写真をとったりしている。個室寝台です、という言葉も耳に残っていて、ベッドの上で聴く音楽はコレとか、寝酒とツマミも用意してウキウキ~♪。
部屋の設備を確認して、上着をハンガーに掛けてから気がついた。室内が妙に寒いのだ。え、まさか暖房なしで行くのかい?でも掛け布団は薄めのが一枚だし浴衣までご丁寧に置かれているし。でも着替える勇気はないよなぁ・・・とか独り言をいいつつ切符をながめてみる。23:03発という文字でハッと気づいた、いつもはお布団に入る時間じゃないの。。。。しかも朝の金沢で「眠いからもうちょっと起こさんといてや~」なんて言えるわけないよなぁ。買って来た日本酒を一気飲みして布団にもぐりこむ。
妹が手渡してくれた耳栓を耳に押し込む。さすがに夜行寝台というだけあって、車内放送は低い遠慮がちの案内で、しかし眠り込んだ乗客が一人たりとも下車駅を聞き逃さぬようにせねば、という配慮を怠らない、耳栓は結局役に立たない教訓を学んだ(笑)。

どこかの駅に着く直前の案内放送が耳に入った。4時ごろだったと思う。まもなく○○に到着となります お下りのお客様にはお忘れ物のないように・・・という案内をおぼろげに聞きながら、体中汗をかいているのに気づいた。うわっと一気に眼がさめて見ると、首にはマフラーが巻きつけられジャンパーを着たまま寝ていた。個室内はベッド下からの暖房でかなり暖められていたのだ。窓側と入口のカーテンを確実に閉めてマフラーを振りほどき、ジャンパーとセーターを脱ぎ捨てて金沢到着の二時間半をほとんど裸状態で過ごした(恥)。汗でぬれたマフラーとセーターをベッドの枠にかけて乾かしながら。。。そうか、発車までは外気とおなじ室温だったのが走り出して暖房が効いてきたというわけだ、それならそうと初めから教えてくれればいいものを・・・でも教わったからって寒いんだもん、などとブツクサ言いつつ布団を身体に巻きつけながら夜明け前の富山地方の雪景色を楽しんだのであった。

冬の夜行寝台列車対策。
次回乗ることがあるかどうかは分からないけれど、抜かりのない対策を検討せねばと真面目に考えさせられた夜行寝台体験であった。
でも、こんな失敗談を書くのは私だけなのかも知れません。012.gif


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by hanako_mama | 2008-03-17 07:58 | 私の好きなもの | Trackback | Comments(4)

こんにゃく トッピング1993

・・・というわけで、前の記事に続きます。 

アルバムを開いて、思わず 「 うわっ 可愛い~! 」。そうしたら次々にあの頃・・15年前の思い出がよみがえって来て。あの頃 ブログというものがあったなら毎日投稿していたろうなぁ、と。
懐かしいPTA活動時代、子供達が思春期の入口にさしかかった頃の、親子の思い出をここに残すことにした。


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ケーキのトッピング準備中の写真。生クリームを泡立てて泡立てているのはH君。
となりの女性はH君の母(仙人の奥さん)。奥のメガネの男児は長男。
可愛い~と叫ばせた真ん中の男児は小学2年の三男 RYU(^^)。


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これは彼らが六年生の卒業まじかと言うときに、
母の<手作りコンニャクって美味しいど~! 作るのも簡単なんだわ>案 を採用した小学校最後の親子レク。
コンニャク農家との手紙のやり取り、役員さんやお手伝いのお母さん達との打ち合わせメモまで残っている。進行表まで作っていた。


あの日、進行表どおりにコトを運んでいたので、これを参考に写真に解説をつけてみよう。

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コンニャク芋は、お母さん達で分担してお家で茹でて来てもらった。
これは、茹でたコンニャク芋をミキサーにかけて、練っているところ。
手前でコンニャク芋をミキサーにかけているカミリン(職場の同僚)で向かいは娘さん。
一昨年ご結婚されて、一人の女の子のお母さんになっちゃった!
家庭科室の日向ちかくでは、やんちゃ連中がボウルの芋をこね回し^^)



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この子と横のお母さん、妹さんは兵庫に引っ越して行かれた。
手前の体格の良い男児は ノコアケミコ さんの息子さん。
この人たちも、ミキサーからボウルに芋を移して十分間練り作業です。練ったら、そのまま40分間ねかせました。


寝かせている間に、ケーキのトッピング開始!! 
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ノコアケミコさんは、ケーキ作りもお得意。
スポンジケーキを8台焼いてきてくださった。
あの当時から、口と手が同期しておられました(笑)ここの舞台は彼女が仕切りました。

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「生クリーム、もう固くなってきた?・・」 

女の子は念入りに。







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男の子だって頑張るのだ!
スポンジケーキに挟みこむイチゴを 薄くスライスしている U君。

写真を撮りながら、ハラハラさせられたことを思い出しました(笑)。


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どうも三男が良く登場してしまいます(^^;)。
甥っ子達も「わー カワイーじゃん!!」と何度も言ってくれたので。。。 
左端は、沖縄の台風現地リポートで、突然ブラウン管に現れてびっくり仰天した子。
となりの弟さんとジロー・コジロー兄弟と呼ばれていた。(これはコンニャク作り練り作業中らしい。)



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ケーキのトッピングが終わると、寝ていたコンニャク芋に炭酸ソーダを溶かしまぜ、
コンニャクを丸い形にします。これを30分ほど茹でていくんですね。
この写真はKさん親子。妹さん 可愛いです!

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この茹でている30分も無駄にしてはならない
進行表によると、S先生がゲーム担当になっている。
さっきのケーキを食べながら、先生主導のゲームがスタートしている!
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彼らは小学四年生です。
二人はソフトボール仲間だった。右が次男です。
この日は、兄弟姉妹も特別参加で80名ほど。家庭科室が満員でした。



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普段は看護士をされているお母さんもお休みをとって参加中。
チョー忙しい日常を忘れて、さかんに子供の話をしています(^^)。
手の空いているお母さんは、後片付けをしている。




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ケーキを食べ終えるころ、コンニャク芋が茹であがった。
保護者通信の編集後記には<以上のような、ものすごい工程の半日でした。>とあった。いそがしかった!! おもしろかった! のは親も子も「同感~!」と声を合わせて叫びたいくらいの興奮を味わったからだろう。


今思えば 手作りコンニャクを親子で作る コンニャク芋を寝かせている間にケーキも作っちゃおう♪ コンニャク玉を茹でている間にケーキを食べながらゲームもやってしまおう!などという無謀な企画を考えるなんて、いかにも私だったなぁ。若かったんだなぁ() でも笑えるのは今だから。

そうそう、あの当時、役員さんはもちろんのこと、5年・6年と同じクラスで交流のあったお母さん達は、不甲斐ない学級代表の私を上手に支えて下さった。いまでも街で出会うと 「てっちゃん、今 なにしてんの~」と声をかけて下さる。先生も子供達も親達も良くまとまった素敵なクラスだったと思う。


この記事を書くのは楽しかったです。
その気になれば勢いがついて、面倒な作業も苦もなく進むんだなぁと、久々に長い記事を書き終えて一息ついたところです。

コンニャクの作りかた ↓


★ 手作りコンニャク 案内 ★
by hanako_mama | 2008-03-09 10:08 | 家族・健康 | Trackback

母と娘


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父がカテーテル検査入院のため、近くに住む私たち(姉妹)が実家に交代で戻る日々が続いている。本来なら4日ほどの入院で帰れる予定が、肺炎を併発したことで少し長い入院となりそうだ。茨城の実家は、父と母の二人暮しである。老いた母ひとりでは心配だということもあって、妹と私が交代で時々お泊りすることになった。


今朝、母と私は二人きりの食事を済ませ、簡単な部屋のかたづけを済ませて炬燵に入った。父の病院に行くまでの90分ほどを私は中国語の学習に充てた。電子辞書を開いて中国語の新しい課文にピンイン(ふりがな)を付けていく。母は、黙って私の教科書と電子辞書をながめて座っていた。「なんだい、それは・・・。漢字ばっかりじゃねかい?」 「うん、中国語にふり仮名 付けてんだ。」 「へぇ、中国語に付けるふり仮名はローマ字かい?」 「うん、そうだよ。」 
母は、よっこらしょと腰を上げて「脳を鍛える算数ドリル」という脳トレの本を持ってきた。
「お父ちゃんがいる時は、ここに書いた答えを見て、合ってっか(合ってるかどうか)言ってくれんだわ。」 とか言いつつ 4+5=( )の簡単な算数計算に挑戦しはじめた。

昨年春に誤診でアルツハイマー病という病名を付けられた84歳になる母である。たしかに加齢による呆け状態はあるものの、呆け具合が進んでいるとは思えない。口のほうは相変わらず達者である。あとで病室で父がこう言って笑った。「お母ちゃん、あんがい長生きすっと~(するよ)」 私が 「ん~、かもね。憎まれっ子なんとやらっていうアレかも~ふふふ。」

母とお茶を飲みながら ちょっと昔の話になった。
「あんた PTAの役員やってたころさぁ いろんなことやったっぺよ。」
そうだった。六十台後半だった母は、初めてPTAの学級代表という役員を引き受けた娘に、面白い知恵をつぎつぎに授けてくれた。牛乳パックでゴミ箱を作ろう ・・・だの、廃油で石鹸を作ろう・・・だの、極めつけは「手作りコンニャクを作ろう!」 だったっけ。なんて話をしていたら、その頃の懐かしい思い出がつぎつぎと脳裏をかけめぐって・・・。家に戻って、15年も昔のあの頃の思い出がいっぱい詰まった宝箱を開けてみた。「こんにゃく トッピング資料」と書いた大きな茶封筒があった! 「これ~!」 当時の写真もそのままミニアルバムに残っていた。

ブログに向き合ってみよう。そう気持ちを動かしたものがここにあった。
相変わらずバタバタする日が続くと思う。でも、あの頃を思い出しながら記事にしていくのも面白いかも。気持ちを前に向かせるものがあった、それで良いじゃないか。
・・・・・ということで、いきなりですが15年昔の記事を書く準備をしたいと思います。

  
by hanako_mama | 2008-03-07 20:42 | 家族・健康 | Trackback | Comments(6)

大きい声では言えないが, 小さな声では聞こえない


by ふうちゃん
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